「それでも僕はやってない」
周防正之監督の痴漢冤罪の裁判ドラマ。駅長室に連れて行かれるところから、警察、検察、裁判所と一連の流れを見せてくれる。
被告の母親、友人、弁護士がかなり頑張ってビデオを作成したり目撃者を探したりと証拠を集めるが、結局有罪となる。最後まで無実を主張したことで「反省の色が無い」と裁判官から言い渡される。被告の立場から見ているから不満を感じるが、書面と裁判所でのやり取りだけで判断する裁判官側に立ってみれば、有罪判決にも無理からぬところがある。
ただ、「疑わしきは罰せず」が原則とするなら大問題だ。刑事裁判は国家権力に対する個人の戦いだから、少しでも検察の主張に無理があれば、無罪にすべきと思うのだが、実際には相手の主張を崩すだけでは裁判官の心証を得られず、むしろ積極的に無罪の立証をする必要がある。これは個人にとっては大きな負担であり、無理といっていい。
だから警察も検察も、当番弁護士も罪を認めて、不起訴処分になることを勧める。
「10人の真犯人を逃すとも1人の無辜を罰することなかれ」
もし10人の犯人を無罪にしていたら、社会の不安は増すだろう。個人の権利意識が強い欧米でなら、それを許すのかもしれないが、日本では「もう少し妥当なところで手をうってくれ」というのが人々の本音ではないか。だからこそ、こうした状況にあるのだと思う。
これは司法の話だが、他人事とは思えない。
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